8月9日、トスカーナのルッカ(Lucca)近くにあるマッサチュッコリ湖(Lago di Massaciuccoli)のほとり、トッレ・デル・ラーゴ(Torre del Lago)で上演された、三枝成彰作品「ジュニア・バタフライ」を観て来た。
湖畔に立つプッチーニ像。ここは、プッチーニゆかりの土地で、墓もここにあるということだ。ここで毎年開かれるプッチーニ・フェスティヴァルで、今年は三枝作品も上演された。
会場近くのBarに立ち寄って、その壁をふと見上げると一枚の写真が。店のおばちゃんに「これ、ひょっとしてマリオ・デル・モナコでしょ?」と訊くと、自慢気に「そうよ!マリオ・デル・モナコ!」ですって。僕の超大好きな歌手の一人。かつて何度もこのフェスティヴァルに出演しただろう往年の大歌手が、お土産屋さんで何を物色してるんだろう。

プッチーニ作品「マダム・バタフライ」は1900年頃の長崎が舞台になっているお話で、今回の「Jr.バタフライ」は、「Mバタ」で、母が自害した後アメリカ人の父に引き取られアメリカで育ち、軍関係者として再び日本に戻って来た蝶々さんの息子の、太平洋戦争直前から終戦後までの話。島田雅彦脚本。
出演者は、佐野成宏・佐藤しのぶ・直野資・大島幾雄・坂本朱ほか。あと舞踏家伊藤キム、いい味出していた。
最近韓国人歌手たちに圧倒されっぱなしで、自分や周りの日本人を聞いていて「日本人ってもしかして…」と思わされることが多々あったのだけれど、さすがに日本を代表する歌手たち。うまい人はうまい!(自分のフォローには全然ならないけれど。がんばるぜ。)
今回は特に坂本さんがよかったと思う。あと特に男声陣、日本語を、そうすることが困難そうなラインがしばしば出てくるメロディーラインの中で、よくはっきり聞き取らせて(我々観客に)いたなぁ、と。
あと舞台がでこぼこで大変そうだった。佐藤さんなんか特に後半ほぼ出ずっぱりだったし、あの舞台の上で立ったりしゃがんだり(はなかったか?)のぼったりおりたり、時には後ずさりなんかして、終わる頃には足ガクガクしてるんじゃないかと心配になったりして。舞踏家もつまずいていたし。
前口上みたいなのがあって、きっとオリジナルでは日本語であるパートをイタリア語でやっていたけれど、これはなんだか聞いていて、コメディー番組で日本人のマネをしているイタリア人を連想してしまった。イタリア人のようにイタリア語をしゃべる、というのは難しい課題だけれど、追求して行かなくてはな、と改めて思った。と同時に、そのコメディアンはよく観察してそれを再現しているのだなぁ、と感心してしまった。。。

作品自体は、率直に言ってよく判らなかった。話の筋はもちろん、そんなに複雑でもないし、理解できた。ただ、いろいろな要素がたくさんちりばめられていて(宗教・アメリカ人の享楽主義・武士道?・アジアの血(何で日本の血じゃないの?)・史実に関する事柄・その他いきなり登場する?なキャラなど)煩雑さや疑問を多々感じた。ほんといろんな記号がいろんな形で、とてもあからさまに出てくるので、それぞれはよくわかるのだけれど、それらがどう結びつくのかはほとんど不明だった。
たとえば最後の場面。原爆によって廃墟と化した長崎。舞台中央には3本の、十字架のように残った鉄骨。被爆したナオミはJrバタと再会し、そのまま息を引き取る。愛する妻を失った彼は自殺をしようと自分の母Mバタの形見である短刀(Mバタ、そしてその父がこの短刀で自害した)を振りかぶるが、一人息子のことを思い短刀をおさめる。そして、ナオミを再びかき抱いて、それまで全く宗教色を見せていなかったJrバタが、十字を切って祈りを捧げ始めた、と思いきや途中でやめて両手を会わせて仏を拝むポーズをとる。脇では全幕を通して舞台上にころがっていたブッダの頭部が合唱隊に支え起こされていた。そういえば、前のシーンのいわゆる「愛の二重唱」もなんだか禅問答っぽかったし、仏教が一つの大きなテーマなのかな、と思いきや十字架3本まだ立ってます、みたいな…。

まぁでもとにかく、日本人によってつくられたあのような大規模な作品が由緒あるフェスティヴァルで上演されたのは、すごいことだと思う。

会場近くのBarに立ち寄って、その壁をふと見上げると一枚の写真が。店のおばちゃんに「これ、ひょっとしてマリオ・デル・モナコでしょ?」と訊くと、自慢気に「そうよ!マリオ・デル・モナコ!」ですって。僕の超大好きな歌手の一人。かつて何度もこのフェスティヴァルに出演しただろう往年の大歌手が、お土産屋さんで何を物色してるんだろう。

プッチーニ作品「マダム・バタフライ」は1900年頃の長崎が舞台になっているお話で、今回の「Jr.バタフライ」は、「Mバタ」で、母が自害した後アメリカ人の父に引き取られアメリカで育ち、軍関係者として再び日本に戻って来た蝶々さんの息子の、太平洋戦争直前から終戦後までの話。島田雅彦脚本。
出演者は、佐野成宏・佐藤しのぶ・直野資・大島幾雄・坂本朱ほか。あと舞踏家伊藤キム、いい味出していた。
最近韓国人歌手たちに圧倒されっぱなしで、自分や周りの日本人を聞いていて「日本人ってもしかして…」と思わされることが多々あったのだけれど、さすがに日本を代表する歌手たち。うまい人はうまい!(自分のフォローには全然ならないけれど。がんばるぜ。)
今回は特に坂本さんがよかったと思う。あと特に男声陣、日本語を、そうすることが困難そうなラインがしばしば出てくるメロディーラインの中で、よくはっきり聞き取らせて(我々観客に)いたなぁ、と。
あと舞台がでこぼこで大変そうだった。佐藤さんなんか特に後半ほぼ出ずっぱりだったし、あの舞台の上で立ったりしゃがんだり(はなかったか?)のぼったりおりたり、時には後ずさりなんかして、終わる頃には足ガクガクしてるんじゃないかと心配になったりして。舞踏家もつまずいていたし。
前口上みたいなのがあって、きっとオリジナルでは日本語であるパートをイタリア語でやっていたけれど、これはなんだか聞いていて、コメディー番組で日本人のマネをしているイタリア人を連想してしまった。イタリア人のようにイタリア語をしゃべる、というのは難しい課題だけれど、追求して行かなくてはな、と改めて思った。と同時に、そのコメディアンはよく観察してそれを再現しているのだなぁ、と感心してしまった。。。

作品自体は、率直に言ってよく判らなかった。話の筋はもちろん、そんなに複雑でもないし、理解できた。ただ、いろいろな要素がたくさんちりばめられていて(宗教・アメリカ人の享楽主義・武士道?・アジアの血(何で日本の血じゃないの?)・史実に関する事柄・その他いきなり登場する?なキャラなど)煩雑さや疑問を多々感じた。ほんといろんな記号がいろんな形で、とてもあからさまに出てくるので、それぞれはよくわかるのだけれど、それらがどう結びつくのかはほとんど不明だった。
たとえば最後の場面。原爆によって廃墟と化した長崎。舞台中央には3本の、十字架のように残った鉄骨。被爆したナオミはJrバタと再会し、そのまま息を引き取る。愛する妻を失った彼は自殺をしようと自分の母Mバタの形見である短刀(Mバタ、そしてその父がこの短刀で自害した)を振りかぶるが、一人息子のことを思い短刀をおさめる。そして、ナオミを再びかき抱いて、それまで全く宗教色を見せていなかったJrバタが、十字を切って祈りを捧げ始めた、と思いきや途中でやめて両手を会わせて仏を拝むポーズをとる。脇では全幕を通して舞台上にころがっていたブッダの頭部が合唱隊に支え起こされていた。そういえば、前のシーンのいわゆる「愛の二重唱」もなんだか禅問答っぽかったし、仏教が一つの大きなテーマなのかな、と思いきや十字架3本まだ立ってます、みたいな…。

まぁでもとにかく、日本人によってつくられたあのような大規模な作品が由緒あるフェスティヴァルで上演されたのは、すごいことだと思う。
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