昨日は、ローマから電車で一時間半の街、Frosinone(フロシノーネ)で試験を受けるため、丸一日外をふらついていた。
別にただ、一日外出していた、だけだったら何の自慢にもならないのだけれど、ここはイタリア。当初は半日の予定だったのに、家にたどり着いて時計を見たら、すでに九時前だったとさ。
まずちなみに、ローマから一時間半ではあるが、その電車に乗るまでに、我が家からは余裕をみて小一時間は要する。というわけで、我が家→フロシノーネ=二時間半弱。
当初の予定では試験は12時開始だったので、ウォーミングアップ&伴奏者との打ち合わせ、さらに休息腹ごしらえ含めて二時間程とるとして、10時前後に到着する電車に乗る。試験は、2時頃には終わるかな、とふんで、まぁ5時過ぎには家に帰って(半日というのはやっぱり無理があるか…)、片付けして買い物して夕飯作ってまだほかにも何かできるかな、という感じだった。
7時15分頃に家を出て、ほぼ予定通り10時半に会場に到着。僕が受ける試験の前に、別のカテゴリーの試験が10時開始、のはずだったのに、ちょうど僕が着いた頃に試験官が試験部屋に入場。Eh, be'. Può essere. ま、これくらいはあり得るかな、と。僕のカテゴリーも、どうせ少なくとも30分から1時間は遅く始まるだろうな、と思いつつも、とりあえず12時までに準備をすませて試験部屋の前へ。こっからが長かった。なんだかんだで3時間、待ちました、僕らのが始まるまで。
アルファベット順で、KimとかLeeが多い韓国人や、RとかSとかTあたりで始まるのが多いイタリア人たちを差し置いて、僕は2番目に呼ばれた。部屋に入ってすぐ、身分証明書と用意したプログラムを試験官に提出するのだけれど、ここで大問題発生。
“ハウルの動く城”に出てくる魔女(だったっけ?)のしぼむ前みたいなかんじの試験官のボスは、僕のプログラムを見るなり、「このプログラムは受け付けられません」と。多分去年までは単純に、15分・イタリア語以外の言語の曲を1曲含む、という条件を満たしていればよかったものの、今年からどうやら古典歌曲、近代歌曲、宗教曲、オペラ・アリアそれぞれ1曲ずつ、伊語以外2カ国語を含む、という条件で構成されていなければならなかったらしい。だけど、受験者のほとんどはそんなこと知らなかった。それもそのはず、そのことが明記されているものは、その学校の窓口でしか入手不可能だった。ほかの、申請書や、試験の日時場所などの情報はすべてHPで入手できたのに、そんな無茶な話あるか、ともめた結果、妥協策として、とにかく条件を満たすプログラムを組み直して提出、試験では準備してきたものを演奏する、ということになった。イタリア人たちの騒ぎ方が面白かった、というかためになった。一斉に抗議しつつ、裏では皆ですごい勢いで善後策を模索するという。これがいわゆる“カテナチオ”精神か。そんなこんなで結局終わったのは4時半頃。
5時10分発のローマ行きに乗って6時45分着。家まで直通の路面電車の線路工事があったので、別の地下鉄→バスという路線を選択。この、乗り場から乗り場の移動でふらふらになりながらなんとか地下鉄に乗り込んで乗り換えの駅に着いたのが8時。運悪く前のバスが出た直後で、出発まで20分近く待った。
ここでまた一つ問題が。一般の乗客に混じって一匹の虎が乗り込んできた。紙パックのワイン片手に、シャツの前は完全にはだけて、うぉーうぉー、おぃっごめんよ、などとうなりながら車内をうろうろ。こいつのせいで止まる止まる。ほかの乗客に絡むので、運ちゃんがおろそうとしたり、本部だか警察に電話したり、お前がおりるまで出発しないぞ、とストライキ起こしたりで。結局途中でおまわりさんの助けを借りて、バスから引きずり降ろしたのだけれど本来15分くらいでたどり着くところを30分以上かかってしまった。運ちゃんは頭に血が上って運転が猛烈に荒くなってしまい、僕は疲れと車酔いでふらふらになって懐かしの我が家に到着。
まいった。
試験は、公に発表されるのは明日なのだけれど、どうも合格したみたい。
まずちなみに、ローマから一時間半ではあるが、その電車に乗るまでに、我が家からは余裕をみて小一時間は要する。というわけで、我が家→フロシノーネ=二時間半弱。
当初の予定では試験は12時開始だったので、ウォーミングアップ&伴奏者との打ち合わせ、さらに休息腹ごしらえ含めて二時間程とるとして、10時前後に到着する電車に乗る。試験は、2時頃には終わるかな、とふんで、まぁ5時過ぎには家に帰って(半日というのはやっぱり無理があるか…)、片付けして買い物して夕飯作ってまだほかにも何かできるかな、という感じだった。
7時15分頃に家を出て、ほぼ予定通り10時半に会場に到着。僕が受ける試験の前に、別のカテゴリーの試験が10時開始、のはずだったのに、ちょうど僕が着いた頃に試験官が試験部屋に入場。Eh, be'. Può essere. ま、これくらいはあり得るかな、と。僕のカテゴリーも、どうせ少なくとも30分から1時間は遅く始まるだろうな、と思いつつも、とりあえず12時までに準備をすませて試験部屋の前へ。こっからが長かった。なんだかんだで3時間、待ちました、僕らのが始まるまで。
アルファベット順で、KimとかLeeが多い韓国人や、RとかSとかTあたりで始まるのが多いイタリア人たちを差し置いて、僕は2番目に呼ばれた。部屋に入ってすぐ、身分証明書と用意したプログラムを試験官に提出するのだけれど、ここで大問題発生。
“ハウルの動く城”に出てくる魔女(だったっけ?)のしぼむ前みたいなかんじの試験官のボスは、僕のプログラムを見るなり、「このプログラムは受け付けられません」と。多分去年までは単純に、15分・イタリア語以外の言語の曲を1曲含む、という条件を満たしていればよかったものの、今年からどうやら古典歌曲、近代歌曲、宗教曲、オペラ・アリアそれぞれ1曲ずつ、伊語以外2カ国語を含む、という条件で構成されていなければならなかったらしい。だけど、受験者のほとんどはそんなこと知らなかった。それもそのはず、そのことが明記されているものは、その学校の窓口でしか入手不可能だった。ほかの、申請書や、試験の日時場所などの情報はすべてHPで入手できたのに、そんな無茶な話あるか、ともめた結果、妥協策として、とにかく条件を満たすプログラムを組み直して提出、試験では準備してきたものを演奏する、ということになった。イタリア人たちの騒ぎ方が面白かった、というかためになった。一斉に抗議しつつ、裏では皆ですごい勢いで善後策を模索するという。これがいわゆる“カテナチオ”精神か。そんなこんなで結局終わったのは4時半頃。
5時10分発のローマ行きに乗って6時45分着。家まで直通の路面電車の線路工事があったので、別の地下鉄→バスという路線を選択。この、乗り場から乗り場の移動でふらふらになりながらなんとか地下鉄に乗り込んで乗り換えの駅に着いたのが8時。運悪く前のバスが出た直後で、出発まで20分近く待った。
ここでまた一つ問題が。一般の乗客に混じって一匹の虎が乗り込んできた。紙パックのワイン片手に、シャツの前は完全にはだけて、うぉーうぉー、おぃっごめんよ、などとうなりながら車内をうろうろ。こいつのせいで止まる止まる。ほかの乗客に絡むので、運ちゃんがおろそうとしたり、本部だか警察に電話したり、お前がおりるまで出発しないぞ、とストライキ起こしたりで。結局途中でおまわりさんの助けを借りて、バスから引きずり降ろしたのだけれど本来15分くらいでたどり着くところを30分以上かかってしまった。運ちゃんは頭に血が上って運転が猛烈に荒くなってしまい、僕は疲れと車酔いでふらふらになって懐かしの我が家に到着。
まいった。
試験は、公に発表されるのは明日なのだけれど、どうも合格したみたい。
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