そもそも

何の目的もなく始めたので、このブログどうなるのかわからないけれど、ま、ちょろちょろと、ね。
そんな、イタリア語をべらべらしゃべれるようになったとかそういうんじゃないのだけれど、気分に任せて好きなように書いていくんだと思う。先の記事みたいに。
最近読んだUmberto Eco著『薔薇の名前』の登場人物にサルヴァトーレという、ヨーロッパ中を放浪した無学の修道僧がいるのだけれど、彼はヨーロッパ中の言葉をごちゃ混ぜに使った言語で話す、ということになっている。
そこまでではないけれど、イタリアでの日本人と韓国人との同居という環境で、家の中での会話はかなり怪しげなことになっている。
「そこのacquaヂュセヨ。」みたいな感じ。よくないし、正直時々ちょっと気持ち悪くなることもある。
でも裏腹に、複数の言語を織り交ぜて、心の中にあるものをより具体的に表現できることが、ままある、いや少なからず、ある。
・・・母国語を使いこなせていないってことだろうか?

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